国立大学の職員ってもともとは、国家公務員だから、国の縦割り行政の弊害がまだ色濃く残っているような気がするとお思いでしょうが、さて、実際の現場の感じはどうなのでしょうか。
国立大学は、法人化によって、まず大きく変わったのが、会計制度。財務諸表を扱う企業会計制度が導入され、収益という概念が出ていたから、さぞかし空気が変わったとおもえば、そうでもない。
財務諸表といっても、国立大学法人特有のものだし、企業会計にもない、国としてのコストの書類まで作成させられる。いわゆる余計な仕事だ。
しかも、収益という概念が生まれても、いわゆる節約による余剰金という扱いで、しかもこれを内部留保として、翌年度に有効に使おうとすると、これを「埋蔵金」呼ばわりされてしまうからやっかいだ。
そして、さらに頭を悩ますのが、第1期中期計画・中期目標の最終年度は、基本的には使い切ることになる。ここで、万一、余剰金が発生した場合は、計画・目標がなっとらんということなのだ。

というわけで、話は脱線したが、結局、国立大学の仕事はまだまだ国の時代のしがらみを引き継いでおり、結局、担当者以外の人間がやっている仕事はよくわからん、という実態はあまり変わっていない。
これは、毎年1%の運営費交付金の効率化計数による削減分がそのまま職員の削減とそれを埋める非常勤職員の増加につながっており、結局1人にかかる仕事の分野の増加と、なかなか横割りに出来ない業務の範囲の広範化にもつながっている。
特に、法人化によって新たに生じた仕事もあり、それに定員を裂くと、さらに既存の仕事を少人数でこなすことになるから、ますます縦割りが深くなってしまうのだ。

ところで、では、私立大学は何故あんなに少人数の職員でやっていけているのか?
それは、業務の思い切った外部委託と余計な仕事を無くすこと、そして教員にもかなりの分業を強いていること、あとは、幅広い分野で収益事業が認められていることだ。
それに比べ、国立大学は、承継職員の生首は切れない、税金を使って業務を行っているのだから、それを適正におこなっているという山のような証拠書類の作成のためにかなりの人力をかけていること、そして、中期計画・中期目標など評価のための業務が思いのほか多くて、そのために貴重な時間がとられている気がする。

これから、国立大学を目指す諸君は、このような実態の国立大学を改善すべくもっと効率的な大学運営とは何か? をテーマに志してくれるとうれしい。

タイトルからかなり脱線してしまったが、窓口に来た人が、どの職員に聞いても答えられるような横割りの体制がいいのは言うまでもない。