学生が集まる某ネット掲示板を覗いて見ると、良く見かける書き込みがあります。これは、大学問わず、どこでも同じような書き込みが散見されるのです。これから、国立大学事務職員を目指す人にとっても、嫌な書き込みだな、大学職員を目指すのやめようかな?と感じている人も中にはいることと思います。それでは、実際どうなのでしょうか。
まずは、書き込みからほんの1例ですが、以下のようなもの(本文のままではない、内容要約)があります。
「厚生課の職員の対応、何様のつもり?」
「学生支援課の窓口のやつ、俺の態度が悪いとケチつけた」
「窓口対応の職員にはJALのすっちー呼んで研修させろ」
「書類受け取りが遅くて教務課で怒られたけど、美人のお姉タンだった、萌え~」
など、ほとんどが、職員の態度に関する苦情を連ねているのが多いのです。
これらは、今は国立大学法人職員とはいえども、元々は国家公務員なのだから、国民全体の奉仕者=サービス業=マクドナルドやコンビニなどのスマイルいっぱい丁寧語での窓口対応を行わなくてはいけない、ということなのでしょうか。
しかし、これは学生側に大学としての使命(役割)を理解していないために起こっている誤解もあります。学生は授業料を払っているお客さんで大学はサービスを提供するお店ということではありません。
それでは、どういうことなのか簡単に説明します。
まずは、学校基本法第9章第83条より。
第83条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
学生は、教育研究により知識、能力を受けるだけでなく、「道徳」も身に付けさせるのです。
次に、大学設置基準第9章事務組織等より
(事務組織)
第四十一条 大学は、その事務を処理するため、専任の職員を置く適当な事務組織を設けるものとする。
(厚生補導の組織)
第四十二条 大学は、学生の厚生補導を行うため、専任の職員を置く適当な組織を設けるものとする。
つまり、大学の事務組織は、学生の厚生補導を行うために、厚生課や学生サービス課などの組織を置いていて、それを行うのは、そこの事務職員なのです。
最後に「厚生補導」がわからない人にために。
文部科学省HPより一部引用(全文見たい人は下記URL参照)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad195301/hpad195301_2_126.html
飲み・食い・住い・そして喜び・悲しみ・あこがれ・悩むこと―切が、人間生活の内容を構成するかぎり、教育の目標として人間的な成長を考える場合、学生についても、これらの全体の活動をひとりの学生として生きたとらえ方をするのでなければ、教育はその本来の意味を失うであろう。
厚生補導とは、このように学生を生活し成長する主体としてとらえ、かれらが学園を中心とする生活の中で、その個性に応じて最高度の成長と発達を遂げ、将来民主的な社会人としてその技能を発揮するための資質を身に着けうるように、大学が学生に対して与える科学的,組織的な指導と援助の活動をいうのである。
これで、おわかりでしょうか。別に職員が偉そうにしているのではなく、学生たちが将来、社会人として立派になれるよう、4年間でしっかり人材育成を行って送り出すとう使命がありそのための指導的な部分が偉そうに感じてしまうということなのです。
たとえば、学生が、非道徳的な行為や刑法に触れる行為など犯した場合に、大学側の組織として謝罪会見を行う場面を良く目にしていることでしょう。
学生も大学という組織の人間の1人なのだから、そのことをよく自覚して、節度ある行動、使命をもって、大学を一緒になって良くしていこうという気概を学生が持つのは当然ですが、職員側も、これから職員を目指す人も一緒になって持って欲しいものです。
もちろん、大学生として、窓口の事務職員への対応がちゃんとしている学生に対しては、私も、笑顔で学生サービス支援対応をとっております。決してカワイイ女子学生が窓口に来た時だけではありませんよ、多分。。。。
マクドナルドなら「スマイル0円」だが・・・・。